愛とは
ここでは、ポケモン対戦界で「愛」と呼ばれている現象について説明したいな、と思います。
ちなみに、「新辞林」には…
(1)対象をかけがえのないものと認め,いつくしむ心。「子への―」「―の鞭(むち)」
(2)異性を恋い慕う気持ち。恋。「―を告げる」
(3)何事にもまして,大切にしたいと思う気持ち。「学問に対する―」
(4)キリスト教で,神が人類を深くいつくしむこと。
(5)〔仏〕人や物にとらわれ,執着すること。渇愛。
と説明されています。
基本的には、(1)の意味での「愛」で正しいと思います。
しかし、ポケモン対戦に於いて愛とはもう少し広い意味を持つ気がします。
その、「広い」部分をココでは説明できたら嬉しいなと思います。

どのような現象なのか
これは、実際に見て戴きましょう。
ログ
えと、右側が私です。
最初のポケモン選択の時点で
私は「エーフィ、カイリキー、サイドン」を選択しました。
この時点で、相手のガラもライコウも受けられないという状況です。
普通なら、役割が足りなくなり、三匹抜きすらされそうな勢いです。
でも、実際の対戦では何故か私が勝ってしまいました。
理由は、このエーフィの異常な急所率とダウン率ですね^^;
この様な状態の時「愛」と表現することが多いと思います。
つまり「愛」とは、絶対的に不利な状況をひっくり返してしまう様な事だと言えそうです。
実際は確率上あり得ない変数と偏運の成せる技なのですが、
コレを、日頃からの愛の賜だと思うわけです。

愛の意味
では、この愛が、ポケモン対戦にとって
どの様な意味を持つのか、考えてみたいと思います。
ポケモン対戦とは、純粋にはただのゲームです。
誰もが求めるのは勝利ですね^^
これは変わらないと思います。
しかし、このゲームの面白いところは、
トレーナーに感情移入させる部分があると言うことです。
それはモンスターの外見であったり、属性であったり、技であったりするのですが
でも、誰にも「好み」があります。
この好みを生み出す物は様々で、数えられないくらいあると思います。
でも、それは「通常あり得ない変数で勝ってしまったこと」に対して、
本来それは理不尽な事で納得できない事なのですが、「愛」という一言で納得できてしまう理由を与えるわけです。
(対戦相手ですら納得してしまう事もあるから驚きです。)
そしてそれは、使っているトレーナーのポケモンに対する愛をより深くします。
(そして、こんな変なHPが出来たり、私みたいな変な人が現れたりするわけです。)
結果として、そのポケモンの研究も進みますし、
またポケモン対戦自体が寂れない理由でもあると思います。
恐らく、任天堂はそこまで狙っていなかったと思いますが、
愛情を込めて育てたポケモンが、あり得ない変数によって勝ってしまうことは
深くトレーナーの記憶に残る物です。
(逆に、あり得ない確率で負けた事は、すんなり忘れてしまうから不思議ですね。)
この辺りにポケモンが他のゲームとは違う理由があるのかな、と思いした。
ポケモンは良く運ゲーだと言われます。
戦術や相性、立ち回りでどうしようもない運の偏りが、
勝敗に大きく影響してくるゲームだからですね。
しかし、それ故にポケモンが面白くないと言う人が居ます。
確かに、良い試合が一つの急所で滅茶苦茶になる事もあります。
けれど、この微妙な変数が無ければ、
ポケモン対戦はもっと味気ない物になってしまうのでは無いかな、と思います。